プロフィール

古瀬 郁江 Furuse Ikue

1980年、北海道生まれ。

「私そのもの」である真の声(コアメッセージ)を探り、

魂が最も輝く人生を歩み始めるお手伝いをするライフカウンセラー。

子どもたちのプリプリお尻をこよなく愛する人生冒険家。

パティシエであり、

ズボラ重ね煮講師であり、

ときに子育てコーチ、

子どもの発達マニア、

そして胎児や赤ちゃんとお話ができるたいわ士でもあります。

自立を余儀なくされた子ども時代

そんな私は、

ユーモアに溢れ独特な視点を持つクリーニング屋を営む父と、

後輩に慕われみんなをまとめ上げる姉御肌の母の間に第2子として誕生。

「郁江」という名前は、榊原郁恵さんファンの母に命名されました。

幼少期はこだわりが強く、親が頭を抱えるほど頑固。

いつもおちゃらけてみんなを笑かすムードメーカー的存在。

物事の真意を見抜き、子どもらしくない思考を持ち、

小学校時代は友達との視座のズレに一人違和感を持っていました。

3歳で母が、9歳で父が亡くなり、

同年代の姉妹がいる親戚の家に居候。

姉と共に4人姉妹のように過ごした5年間は、

初めて「家族」を感じる時間でした。

とはいえ、そんな生活でも常に寂しさを感じ、

叔父叔母に思いっきり甘えることも、ぶつかることも出来ず、

どうしても埋められないものがありました。

高2になった思春期真っ只中の姉の精神的ストレスからふたり暮らしを始め、

私の就職が決まった高3の秋からは姉と離れて一人暮らし。

そんなわけで子どもの頃から自立を余儀なく過ごしてきたのです。

「母親」を知らない中での子育て

高卒で夢のパティシエの道に進み、

現場で一から学ぶ修行の日々は大変だけど楽しい毎日。

結婚した後もレストランでデザートを作っていましたが、

お菓子の世界に満足し、

今度は「家庭」の世界に足を踏み入れます。

母親の記憶が全くない私にとって母親業とは未知の世界。

しかも生まれてきた娘はアトピー&卵アレルギー。

「親とはどんな存在なのか」がわからず、

正しさに囚われ、

娘のアトピーは私のせいだと自分を責め、

ヒステリックに怒りを爆発させ、

言葉の虐待をし、

娘をコントロールし、

そんな自分を誰にも言えず、

苦しい苦しい日々を過ごしていました。

しかし、

山の幼稚園で出会った先生方や、

さくらさくらんぼ保育の発達の考え方、

子育てコーチングと出会い、

そこから大きく私の人生は変化し始めたのです。

「すべての辛さは過去の心の傷が原因だった」

「理解できない子どもの行動は発達の一つだった」と解り、

ひたすらに自分自身と向き合い、

子どもの発達について学び、

子どもらしさを素直に喜べるようになった自分がいました。

人生の転機になった東日本大震災とたいわ

娘が1歳の時に始めた「お菓子教室」

そこからいつしか、

子どもの発達を学ぶ「しあわせ母ちゃんの会」

イライラする毎日にリバウンドしない「子育てコーチング講座」

放射能から子どもたちの命を守る「いのちを紡ぐお話会」

楽に美味しくあっという間に出来る「ズボラ重ね煮講座」

などお菓子教室の枠を飛び越えて活動を始めます。

そして私にとって大きな転機となったあの日。

ー2011年3月11日

あの日から、生きるとは何かを問いかけながら過ごしてきました。

30年以上何の疑問も感じずに過ごしてきた自分の人生を振り返りました。

自分のしあわせを他人の手に委ねる生き方に気がつき、

その情けなさに、心底絶望しました。

そして「これからは人生の舵取りを自らの手に取り戻す」と心に誓ったのです

2013年の夏、息子の妊娠と同時に「たいわ」の道へ。

学びながら息子とリアルタイムで胎話をする日々は、

私の想像していた世界よりももっと愛と驚きで満ち溢れていました。

このまま日本で子育てをしていくことに不安を抱えていた時、

息子がお腹の中から私にこう言ったのです。

「地球に生まれたんだから、地球で暮らせばいいじゃん」

その言葉に目が覚め、

2016年5月、8歳の娘と2歳の息子を連れてインドネシアのバリ島へ移住したのです。

自分軸を確立したバリでの2年間

インドネシア語も英語も喋れない、

住まいも決めず、学校も決めず、仕事も決めず、

行き当たりばったりでのバリ暮らし。

日本とは違う文化。

今までの常識の真逆の世界。

世界には多種多様な子育てがあることを知り、

「私はどんな風に子どもを育てていきたいのか?」

と一から考えさせられる毎日を過ごします。

3ヶ月後、パパに会いたいと娘が帰国、

夫と娘は日本、私と息子がバリの生活が始まりました。

娘と離れて暮らしてみて、

母親としてという私の中の固定観念や、

娘への依存に気がつきました。

母親なのにという罪悪感と、

離れられた安堵感が入り混じる混沌とした毎日。

すべての根源は、私自身の親離れの未完了。

誰かに植え付けられ、誰かに合わせ、

自分の身を守るために採用した思考を一つ一つリセットする。

そして本来の私の姿に戻っていく。

” I’m just me. ” ー 私は私

誰かの目に映る私を卒業する。

私は私だから。

そうやって自分軸を取り戻していきました。

そうして1年間の母娘離れ離れの生活を経て、

再びバリでの母子3人での生活をスタートしたのです。

自分のため、私たち家族のため「だけ」の道を生きて行く

当たり前は、海を越えた途端に崩れさる。

そんな経験を肌で感じ、

結局は「どう生きていきたいのか」だけが真実だと知った今。

日本で暮らすことを選んだ娘と、

「仲間とそれ以外」の境界線が見え始めた息子、

こうあるべきの呪縛から解き放たれ始めた夫と、

日本の空気が肌に合わない私。

誰か1人の意見に揃える必要もないし、

誰か1人でも我慢する人がいるのは嫌。

みんなの命が、

それぞれに輝ける生き方をする。

そんな私のためだけの、

私たちたち家族のためだけの、

新たな物語が始まります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする