こんにちは、古瀬郁江です。
今回の地震、
早朝3時過ぎに揺れてすぐに停電。
翌日はどこのお店も長蛇の列でした。
我が家は急ぎで必要なものはなかったのですが、
トイレットペーパーが少し心細かったので、
子どもたちと一緒にお散歩がてらお外へ。
(最悪、ウエスで拭いて捨てればいいので、
やっぱり焦ってはいなかったのだけれども)
お店の人たちは、
電気も通じない中、
暑い店内で、
電卓を叩きながら、
切れない行列のお客さんのお会計をしてる。
みんな暑い中で、
休憩もなく、
ずっと働いてて。
その時々で、
自分ができることをして、
互いに助け合って生きる。
日本人ってすごいなって。
でも、なんか違和感感じて。
近所のスーパーで、
長蛇の列の最後尾で、
「今日はここで打ち切りにさせていただきます。
商品も残り少なくなってきました。
申し訳ございません」
って頭を下げてる店員さんがいて。
他のお店を回って戻ってきた時、
行列も残り5名ほどになっていたので、
ふと「トイレットペーパーが残ってたら買えないかな?」
と思い声をかけたら、
「ゴメンナサイ、ここで打ち切りにさせて頂いています。
在庫は僕は把握できていないんです」
と言われたんですよね。
再び違和感を感じて、
よくよく見てみたら、
「もう何時間も休みなしでスタッフ一同販売してきましたから、
今日はここで終了させてください」
「お受けしていたらキリがないので、
今日はこれで閉店です。」
って言われたら納得できたなぁ、って。
さっきのお店も、
疲れたらペース落としてもいいじゃん。
途中水飲みながら、休憩入れながら、
お互いに無理せず進めたらいいじゃん。
そんな風に思ってました。
いや、もちろん感謝なんです。
だけど、誰かの犠牲の上にある豊かさって、
全然嬉しくない。
そんな中2日間お店を開けなかったドラッグストアがあったんです。
停電中は開店の目処がつかないと張り紙がしてありました。
今日そのお店に行ったら、
商品がたくさん並んでて、
ありがたく買い物をさせてもらいました。
なんか、その心意気が潔くていいな!って私は思ってて。
だってスタッフさんがお店に来るのだって大変。
スタッフさんだってお家のことがあるし。
で、今日レジの時になんか嬉しくて、
「大変でしたね」って声をかけたら、
「電気が通じず開店ができなかったんですよね」
って申し訳なさそうに言われちゃって。
あ、私の言葉が、
「なんで開けなかったんだよ!」
に聞こえちゃったんだな、と悲しくなりました。
そっか、、、
なんか悲しいなぁ、、、
どうして自分を犠牲にして、
他人様のために尽くすことが、
当たり前とみなされてしまうんだろう。
なぜ?
恐怖を感じたくないから、
外からの装備を身につけて、
恐怖を感じない自分になることに躍起になってる。
備えられなかったら、
商品を提供してくれない相手を非難する。
違うよ。全然違う。
恐怖はガスボンベを売ってくれないお店のせいじゃない。
提供できない側だって、それに罪悪感感じなくていいじゃない。
目の前の人のためって、
そればっかりで、
自分の気持ちを置き去りにして、
うわべだけのみんなのためで、
心はどんどん枯渇して、
なんか、
なんだか、、、
もっと本音で生きようよ。
本音を言っても受け入れ合う未来にしようよ。
頑張るのやめて、
流れに任せて、
疲れたら休んで、
嫌なら泣いて、
無理なら助けてー!って叫んでさ。