意味付けのイミ

こんにちは。

バリ島在住たいわ士、古瀬郁江です。

辛く悲しい出来事が起きた時

腹立たしい出来事が起きた時

私たちは時としてその出来事に意味を見出そうとします。

「これは〇〇の学びの時なんだ」

「これは反面教師だ」

「自分の行動を振り返りなさいというメッセージだ」

「この出来事のおかげで〇〇になった」

「ピンチはチャンスだ」

あまりにも辛い出来事の場合、

意味付けをすることで救われることがあります。

その瞬間、その辛さを乗り越えるために、

意味を見出すことで前に進んでいけることがあるから。

しかし出来事に意味付けをすることは、

根本的には何の意味もありません。

それどころかマイナスに働くときがあるのです。

出来事は、

ただ「そんなことが起きた」という事実です。

それが、

「いいこと」なのか「悪いこと」なのか、

それはその人の解釈によって変化します。

「離婚」というと一般的にはネガティブなイメージですが、

数年後、離婚したからこそ運命の人に出会うことだってあるかもしれない。

子どもが有名私立校に合格しても、

そこでの友人関係がきっかけで引きこもりになるかもしれないし、

その後引きこもり生活のおかげで、

子ども自身が何かと出会い驚くような人生を歩き始めることだって有り得る。

そんな風に、

その出来事の結果は、

時間とともに色んな色合いに変化をしていくものなのです。

意味付けをすることは、

生きていく上では何の意味もないこと。

過去には、私が歩んできた道があるだけで、

もともと意味などない。

それでも人は意味付けしたくなるのは何故?

きっと、

「自分は正しい道を歩んでいる」

という証明が欲しいだけなのかもしれません。

意味付けをすることで陥ってしまう落とし穴があります。

それは、

進む道筋を狭めてしまうこと。

一つの出来事に意味付けをしてしまうと、

その意味に沿った未来を無意識に選ぼうとしてしまうのです。

例えば、

とても高い受講料を払い、

資格を取れる講座に参加して、

いろんな気づきがあり、

結果的に、

「私はこの仕事に就くためにこれまでこんな人生を歩んできたんだ!」

と意味付けをしたとしたら。

「過去の様々な辛さや、悲しみや、喜びや、怒り」は、

「未来にこの仕事を続けること」で、

全て報われるという意味付けが為されてしまう。

そこには、

「この仕事をやらない」や、

「途中で諦める」や、

「やっぱりこれではなかった」という選択肢が存在しないのです。

「もっともっと私を表現できる素晴らしい仕事」の存在を、

その可能性を閉じてしまうことになるのです。

その出来事を意味のあるものにするのか、

無いままにするのかは、

意味付けによって変わるのではない。

今をどんな風に生きていくのか、

自分の可能性の扉を広げて、

自分を信じて、

見えない未来を受け入れる覚悟をもって、

今この瞬間を全力で生きる。

そしてふと振り返った時に、

「気がついたら意味が付いていた」

ということなんだと思う。

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