こんにちは。
バリ島在住たいわ士、古瀬郁江です。
先日、娘の小学校の個人懇談でした。
バリに行き来している間、
彼女は休学扱いだったので、
日本に戻った時には普通に今までの学校に通っています。
5年生になって新しい先生になり、
初めてゆっくりとお話をする時間でした。
学力テストの結果や、
学校のでの授業態度、
お友達との関わりなど、
先生から色んなお話を聞き、
最後に「お家での様子はどうですか?」と一言。
ここで世のお母さんは一体どんな話をするのかしら?
娘は今体の中も外も大きく変化中なので、
どこかイライラをコントロールできない様子が見て取れる。
きっと、
無条件に大人に合わせる世界から、
「私の思いは何だろう」「私はどうしたいんだろう」
そんな風に自分を知るプロセスに入っているんじゃないかと、
側で見ていて思うんです。
私はそれは、反抗期とは別のものだと思ってるし、
仮に反抗期だったとしても、
とても自然な反応だと思うんですね。
友達間の関わりも、
嫌な子がいたり、合わない子がいたり、
くっついたり、離れてみたり、
そういうのも自分を知っていく大切なプロセスで。
親や兄弟ではなく、友達という同じ目線で語り合える存在、
そこから学んだり、気がついたり、考えさせられたり、
とてもとても貴重で重要な時間ではないかと。
学校的には、
いじめに発展する種はないか、
そんな風に目を光らせているのかな?と、
なんだか色んなことが絡まって、複雑な問題なんだなぁと感じていました。
バリ行きのことも、
「日本の学校が良いと言ってるので、娘は日本に残ることにします」
とか言っちゃう母親は、そうそう居ないんだろうな、笑。
(久々の2人でのお出掛けでレゴと写真を撮る娘はまだ幼いなと思う)
子どもはちゃんと育つんだ。
「みんなと仲良くできる」とか
「集中して学べる」とか
「特定の子と一緒に居る」とか
「係活動に消極的」とか
そんなことって
「同じ花でも茎の長さが違う」とか
「同じ木でも葉の色の濃さが違う」とか
そんな程度のことだよ。
大人は、
子どもが育っていく過程で、
自分では処理しきれないストレスや問題を、
解決するお手伝いを必要な時にだけすればいい。
あとは、信じて、ほっとけ!
まぁ、そんなスタンスの母親ですから、
学校でしか見せない彼女の良いところに、
過剰に喜びも驚きもせず、笑
おそらく心配するような部分も、
母なりの解釈と共にあっけらかんとしている、笑。
ちょっと変わった母親を、
「バリで暮らすような人は違うな、、、」
と思われているんじゃなかろうか?
頭こんがらがっていないか?
などと、余計な心配をして帰ってきたのでしたw
(保育園の運動会で親と一緒の踊りにも参加しちゃうところもまだ幼いなと思う)
まぁ、小学校5年生ですよ。
理不尽なことにはボキャブラリー少なく反抗するし、
友達とずーっと一緒にコソコソしてるし、
隠れて買い食いはするわ、晩ごはん食べれないくらいおやつを食べるわ、
そんなもんだろうなと思っています。
普通の母親というものが居るかわからないけど、
居なかったとしても、
私は随分と外側にいる変わった母親なのでしょう。