答えを見つけようとするのがそもそもの間違いかもね

こんにちは。

バリ島在住たいわ士、ふるせいくえです。

先日ベッドの中でウトウトしている時、

なんかすっごい気付きがダーッ!と降りてきてですね、

眠りに落ちるのを必死にこらえながら脳みそに記憶したことを書きます。

もうね、本当に眠かったの。

で、一晩寝ると忘れる自信があったのw

基本的に寝ると消えるタイプなんです(どんなタイプ

今回は奇跡的に覚えていた!

とは言っても思い出すまでに30分は掛かった!

諦めなかった自分えらい。えらいぞー。

というわけで、

「言葉で語れるような子育ての正解なんて

世の中にはひとつとして存在しないんじゃないか」

と言う話をしたいと思います。

(はーい!目ん玉集中ー!)←小学校の時の先生の口癖

子育てをしていると、

「こうした方がよかったかな」とか、

「ああしてしまって後悔」とか、

自分の行動や選択への「良し悪し」にフォーカスしてしまいませんか?

それはもちろん、

行動や選択の後の子どもに現れる結果も含めてね。

なんか私は、

そこにすごく違和感というか、

なんとも言葉にならない居心地の悪さを感じていました。

「こうしたほうがいい」

というモデルケースは山のようにあります。

「怒らずに落ち着いて諭すほうがいい」

「子どもとたくさん触れ合ったほうがいい」

「テレビやゲームは見せないほうがいい」

「お菓子よりも自然の甘みのものを与えたほうがいい」

「子どもには本物に触れさせたほうがいい」

・・・

いや、その方が絶対良いよね!!!

わかる!わかる!

100%賛成!大賛成!!!

でもさ、、、

それが良いってわかってるけどさ、

良いこと、正しいことを選択して実行することだけが大事なんだろうか?

これって、子育てをしているお母さんの多くが陥ってると思うんです。

こういう時はA、

ああいう時はB、

この場合はC、

みたいに、一番最適な答えがすでに出てるんですよ。

こういうやり方はしちゃいけない、

ああいう言い方は子どもをダメにする、

この方法は将来の芽を潰してしまう、

っていう風に、間違いも丁寧に教えてくれてるんですね。

だから、

いつでも、

自分の行動や言動の答え合わせができてしまう。

それって、本当に必要あるのかなーって。

(うぎゃー!顔にかかった!)

私は、

あってようが間違ってようが、

その時自分が選択した行動や言動によって、

その先の現実が動き、

その結果を見て「どうするか」こそが大事だろ!!!

と思うんです。

世間的に言う「ダメな子育て」しても省みて学びがあれば素晴らしいじゃん。

世間的に言う「素敵な子育て」出来てもそこで終わったら意味ないじゃん。

褒められるような母親じゃなくても、

そんな子どもとの日常の中で気づきがあったり、

そこから精神的に成長できるのであれば、

それって「ダメなこと」では全然ないと思う。

逆に、

いい母親の模範になるような子育てをしていても、

その行動や言動をとれた自分に満足をして、

表面上の結果だけにとらわれていたならば、

人間としての成長は極めて少ないんじゃないかなって。

子育てに限らずね、

人生ってそういうことなんじゃないかな。

失敗してもいいし、

間違ってもいいし、

怒られてもいいし、

嫌われてもいいし、

誰かを絶望させてもいいし、

自分の不甲斐なさにガックリしてもいい。

大事なのって「そのあとどうするか」でしかないし、

それこそが魂の成長の時間だよね。

(よっしゃー!飛ばしたったぜ!!!)

子育てって結局、

自分自身が成長していくきっかけが、

バカみたいにやってくる時間なんだな。

あってるとか、間違ってるとか、

良いとか、悪いとか、

正しいとか、正しくないとか、

大事なのはそこじゃないよ。

むしろ、

ガンガン子育て失敗して、

ガンガン自分のダッサいところを見せつけられて、

ガンガン落ち込んで、

そこから「さぁどうするか」と、

本気で子どもに、自分に向き合った回数が多い方が、

人間として深みが出てくるのかもしれないなー。

・・・

ということを、

今にも眠りに落ちそうな時に考えていたのでした。

なのでね、

正解なんてありゃしませんよ。

子育てだけじゃないよ、

人間関係も、

仕事も、

勉強も、

家族関係も、

ぜーーーーーーんぶだよね。

すぐに答えを知りたくなっちゃう。

取扱説明書がないと動けない。

答え合わせをしないと不安になってしまう。

っていう自分を、

まずはじっくり見てみましょうか。

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