英語を喋るのが恥ずかしい。英語を話せるようになるのは自分の傲慢さを知ることからかもしれない

こんにちは。

バリ島在住たいわ士、ふるせいくえです。

先日お友達の紹介で娘の英会話レッスンへ行ってきました。

とっても優しく雰囲気のある先生で、

お勉強だけじゃなく歌やアートを取り入れながらのレッスン。

最初は緊張していた娘も、

「楽しかった!また来週行くの?」

と聞いてくるくらいいい時間だったようです。

レッスンも最後の方になり、

先生といろんな話をしていく中で、

まだ人見知りで心を開ききっていない娘を見て、

「次回からは私は同席しない方がいいと思う」

と伝えました。

先生も大きく賛同してくださり、

「それでも子どもって心を開くのが早いから大丈夫、

すぐに仲良くなって楽しめるようになるよ」

「日本人はシャイだからね」

と優しく微笑んでくれました。

(恥ずかしいなぁ)

” Japanese are shy. ”

家に帰ってからこの言葉が頭から離れず、

なんだろうなぁ、と考えていました。

日本人って、本当に恥ずかしがり屋なのかな?

確かに本気の発音の英語を恥ずかしがって、

カタカナ英語を喋る日本人は多いけど。。。

恥ずかしい、

よりも、

人と違うことを言う(する)のが怖い、

の方がしっくりくるような気がするんだ。

そして自分を振り返ると、

それって結局、傲慢だったんなぁって思う。

スポンサードリンク

英語って、コミュニケーションのためのツールでしか無い。

世界共通言語と呼ばれる英語があるから、

どんな国の人とだって会話ができるし心を通わせられるんだ。

それを、

「恥ずかしいから」とか言って、

相手に伝わらないカタカナ英語をいつまでも喋ったり、

もっと伝わるように努力することをせず、

「日本人だから」「シャイだから」

という世界の認識にあぐらをかいて努力しないだなんて、

どんだけあんた偉いんだよ!!!

どんだけあんた傲慢なんだよ!!!

って今だから思うのです。

***

日本人って心を読む文化。

相手の表情や仕草で言葉以外の思いを汲み取る。

いわゆる「気遣い」っていうやつ。

けれど今の時代、

なぜか昔の日本の文化の一片だけが強調されてて、

その人の状況や世間一般の意見を汲み取るに成り代わってる。

いわゆる「空気を読む」っていうやつ。

この2つは似ているようだけどまったく違う。

ここにも原因があると思うんだ。

(似てるけど違う!!!)

してもらって当たり前、

安くいいものを提供してもらって当たり前、

心地よいサービスを受けて当たり前、

便利な世の中で当たり前、

苦しい時には国に支えてもらって当たり前、

時間通りに電車が来るのは当たり前、

お店に行けば商品が補充されていつでも買えるのは当たり前、

国が避難指示出してくれるのは当たり前、

危険かどうかを判断してくれるのは当たり前、

失ったものは補填してくれて当たり前、

、、、

世の中に馴染んでしまってる「当たり前」の数々。

今の日本は「当たり前」でできてる気がするくらい、

「そんなのわざわざ言わなくてもわかるでしょ!?」

「そんな事もわかんないとかマジでやばいからw」

っていう思想で埋め尽くされてやしないか?

(空気くらい自分で読め!)

昔は当たり前なんかなかった。

きっと今のバリ島のように。

便利なことが当たり前じゃないからこそ、

お互いに思い遣り、その気遣いに感謝できたんだよ。

けれど便利なことが当たり前になってしまったら、

してもらうことを当然の権利として主張するようになってしまったんだ。

「あって当然」「してもらって当然」がもはや空気となり、

相手の状況ではなく、

場の空気を読むことが優位に立ってしまった。

で、

場の空気を読んで、

そこに同調さえしていれば、

特に何も問題なく日々は過ごせるんだよね。

(空気せよんでりゃ受動的に生きていけるのですよ〜)

” Japanese are shy. ”

海外から見た日本人は、

「恥ずかしがり屋」だから、

自分の思いを主張せず、笑顔で同調し、

当たり障りなくその場をやり過ごすと思われているみたい。

でも私が見る日本は全然違う。

失敗が怖くて、人と違うのが怖くて、

でも気持ちは察して欲しい、ただの傲慢じゃんか。

気遣いって本来は主体的。

「今自分は目の前の相手のために何ができるか?」

対して空気を読むのは

「そこに同調していれば誰かに気付いてもらって、してもらえる」

そんな受動的な生き方。

やっぱり日本人はシャイなんかじゃない。

私には、

「日本人はシャイ」という世界の空気を読んで、

その気遣いの上にあぐらをかき、

「だから英語が話せなくても許される」

「だからこっちに合わせてくれる」

と信じて歩み寄ろうとしない傲慢な姿に見える。

日本人にとって英語を話せるようになるための見えない大きな壁は、

日本人特有の「察する」「気遣う」文化が裏目に出た傲慢さかもしれない。

スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする