こんにちは。
バリ島在住たいわ士、ふるせいくえです。
先日のこの記事の続きです。
一時帰国中に感じた罪悪感。
娘年少の運動会のビデオを見ていた時、
なぜだか涙が溢れてきました。
かわいいなーって言いながら泣いてる自分。笑
一体なんだよーこれー。
自分の意思とは反して涙が出る時、
それは心の奥にいる私の涙。
そこには一体誰がいるの?
その時にぼんやり感じたのは、
娘が幼く子育てに奮闘していた時の、
何かしらの罪悪感でした。
子育て10年で経験値を積んだ今の自分が、
当時の未熟な自分を見て、
「もっとこうしてあげられたらよかったな」
「本当はこうしたかったんだよな」
そんな娘への罪悪感だったのかな、、、
そんなことを考えていました。
時間が経ってわかったのは、
娘に対する罪悪感では決してなく、
むしろ自分に対する罪悪感だった、ということ。
「もっとゆっくり向き合ってあげたい」
「もっと力を抜いて子育てを楽しみたい」
「もっと笑顔でいたい」
「もう頑張りたくない」
そんな気持ちが心の奥底にあったのに、
「今頑張らないと、この子が困る」
「この子の命を守るのは私しかいないから」
「頑張れば私はいい母親になれる」
そんな恐怖心に操られて本音を消し去っていた。
知っていたのに、わかっていたのに、
知らないふりして、気づかぬふりして、
ずっと無視し続けた自分へ対する罪悪感。
それは結局他人の考えを採用していたということ。
「豊かな心を育てるためには〜」
「豊かな感性を育てるためには〜」
「丈夫な体をつくるためには〜」
世の中に溢れている「いい子育て」の情報。
それらを採用して、
あたかも自分の意見だと信じ込んで、
かすかな心の声を押さえつけ、
「そうしなかったら大変なことになる」
という恐怖心にコントロールされていただけなんだ。
自分の中心に自分を持ってくる。
人生の舵取りを自らの手に取り戻す。
そうやって生きている今だから、
当時の押さえつけられた自分の声を受け止められたのだな。
「私の本音、私に無視された〜」
「私のこと、私が信じてくれなかった〜」
「ずっとずっとここで静かに我慢していたんだよ〜」
虐げられた自分がいることに、
その当時から気がついていたんだろう。
でも気がついてしまったら、
あの時の私は崩れ落ちてしまうほどだったんだ。
罪悪感に相手なんて関係ない。
結局は自分と自分の信頼関係の話。