こんばんは。
バリ島在住たいわ士ふるせいくえです。
今日はたいわお茶会でした。
最近はやりのキラキラ系起業の話から、
夫婦の性格の違いからのズレ、
子どものしつけ、
自分とたいわする方法、
バリに行った理由などなど、
いろーーーーんな話が出ました。
少人数のおかげで一人一人ゆっくりお話が聞けて、
なんだかとっても良かったなぁ。
今日はお茶会の中でも出てきた、
「自分を大切にすること」についてシェアしたいと思います。
・・・
ここ数年、
「ママが好きなことをして笑顔でいれば子どもも幸せ」
「自分を満たす」
「ワクワクで生きていればすべてが上手くいく」
という流れがありますよね。
私は「自分を大切にすること」自体は否定はしませんが、
その真意をしっかり見極める力は必要だと思います。
自分を大切にすることって、
行きたいところに行ったり、
買いたいものを買ったり、
欲しいものをすべて自分に与えるってことだけじゃない。
買いたかったのに買えなくて悔しい
行きたいのに行けなくて悲しい
やりたいのにできなくて虚しい
食べたいのに食べられなくて残念
さみしい、悲しい、虚しい、切ない、苦しい
そんな誰もが好んで感じたいと思わない感情をも、
「そうか、そう感じた自分がいるんだ」って認めること。
そんな私でも私がそばにいるよ、
だから大丈夫だよ、
なんにも恥ずかしくないよ、
惨めでもないよ、
そんな私でも大丈夫だよ、
ってそのままを受け入れることも、
「自分を大切にすること」です。
まして、
好きなものを買うために、
行きたいところに行くために、
食べたいものを食べるために、
やりたいことだけをするために、
嫌なことは一切見ない、関わらない、
自分がハッピーでいられるなら他人がどうなろうと関係ない、
ということでは絶対にないと思うんです。
(自分の鎖を他人に投げつけることではないはず)
「心の声に従おう」というのは、
今の自分
↓
ポジティブもネガティブも在ってOK。
今のそのままを見る。
↓
その上で「じゃあどうする?どういう自分になる?」
↓
心に添って選択し生きていこう←(ここをみんな言ってる)
というプロセスなんですね。
その中でも一番大事なのって、
途中の「自分のそのままを両目で見る」ってこと。
見たくない姿も、信じたくない姿も、そこに在るんだって認めること。
そこをすっ飛ばして、
ネガティブな感情や理想ではない自分を見ないために、
「心に添って選択し生きていこう」を実践してる人の多いこと。
今現在の「ダサい自分」を見ないために、
理想の「イケてるキラキラな自分」を実行するんじゃなくて、
今現在の「ダサい自分」を認めるから、
理想の「イケてるキラキラな自分」を選択するんですよね。
(あーそこ見ない。見ない。あーあーあー)
クラスの嫌いな人を無視して、
仲間とだけつるんでワーワーやってる時。
友達と一緒の時間は楽しいけど、
視界の端っこや心の片隅には、
大嫌いなその人の影がチラチラ見えてるはず。
嫌いな人と関わりたくないから、
なるべく近づかないように、
目を合わせないように、
相手の動向を知らなきゃいけない。
でも、嫌いな人を真正面から見て、
その人のどんなところが苦手で、
どんなところが許せなくて、
どういうことに私は傷ついたのか。
それをしっかり感じて、
「で?この先この子と関わり続ける?」と自分に問う。
「もう私に対してひどい扱いをするこの子とは関わらない」
「私はいいところを見つけ合って笑い合える人と共に過ごす」
という選択したならば、
大好きな仲間と一緒に過ごしている時、
その嫌いな子の姿は既に視界から消えて無くなっているんです。
逃げれば追いかけられる。
向き合って両目で見たならばそこで終わる。
それは、
子育て方法も、食事も、テレビやゲームも、
教育方針、ワクチン、放射能、農薬、有害物質、
仕事や働き方、パートナーや親との関係まで、
人生の全てに通じること。
(関わらないために監視するという矛盾)
ワクワクを選んでるのになんか不安。
好きなことをしてるのにこれでいいのかと心が揺らぐ。
他の人の動向が気になる。
自分の生き方の理由を事細かに説明したくなる。
そんな人は、もしかしたら「逃げ」が動機かもしれません。
ネガティブな感情や、失敗から。
その根底にあるのは「恐怖」です。
逃げてる時の「ワクワク」はスケープゴート。
自分のすべてと向き合って自分軸を取り戻した時、
初めて本音が見えてくるのです。
ちょうど1年前にもこんなことを書いていました。
ぜひ参考に。