心の声を押さえつける「生産性」と「意味」の罠

こんにちは。

バリ島在住、札幌に一時帰国中のふるせいくえです。

バリでの生活では、毎日めまぐるしく色んな気づきがあります。

あまりのスピードにアウトプットが全然追いつかなくて、

ノートにメモしたり、心にしまっておいたり。

直接会った人には話すことが多いけれど、

ブログにアップしていないことも実はいっぱいあります。

今日はそんなバリでの気づきシリーズ。

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SNSを眺めていると、

悩み事の大半がこの罠に引っかかっているんじゃないかと思います。

それが、

「生産性を重要視すること」

「意味を見出すこと」

なんかね、

心の傷とか、目の前の現実とか、

いちいち「意味」を見出そうとしてる人の多いこと!!!

「これは、私の中にある◯◯を見せるために起きている」

「あの失敗は結果として◇◇に気がつくためだった」

「すべて宇宙の流れとリンクしてる」

無意味じゃいけませんかねぇ?

何かを得られなきゃ無駄なんでしょうかねぇ?

そんな私も、

宇宙の采配っていうやつは完璧だと思っているし、

必要だから起きている、と信じています。

でも、だからと言って、

目の前に起きる嫌なこと、悲しい出来事、許せない出来事を、

「受け入れるために」意味を見出すっていうのは、

ただ自分を傷つける行為でしかない。

幸せ感じてる自分は存在してもいい。

不幸を感じてる自分は存在してはいけない。

そうやって自分を扱っていることだから。

目の前に起きた出来事に何を感じたかってことと、

その出来事や感じたものを受け入れるってことと、

その2つは決して一緒くたにしちゃイカン!のです。

「うわー!最悪!」

「何これムカつくんだけど!」

「信じられない、、、」

そんな一般的に良くないとされる感情が湧いてきたときに、

そう感じた自分を、そしてその感情ごとそのままを「ある」と認めちゃうと、

その感情の波が容赦なく自分を襲ってくるわけであります(イメージは津波

ケガをしたときに、

その怪我に気がついてない時は平気なのに、

傷口を見つけて、血が流れているのを見た瞬間に、

ドッと痛みが襲ってくるみたいなもんです。

「ない」って思ってれば心は苦しくない。

そこにプラスの意味を見出せると、傷ついた現実丸ごとプラスの出来事に変わる。

だから人は躍起になって「意味」を探し、

全ての出来事に「生産性」を求めていく。

意味を見出すんじゃなくて、

意味はあとからわかるんですよね。

自分から湧き上がってきた感情を大切に、

そこに「ある」ということを受け入れて存分に感じる

感情をしっかり感じるというのは、

自分という体を持ったこの存在を何よりも大切にすること。

そうして目の前に起きた現実をあとから振り返ったときに、

「あぁ、あの時はとっても辛かったけれど、

あれがあったから今があるんだよなぁ」

と意味を知る。

この感情を感じないままに、意味を見出そうとしてしまうと、

抑えられた感情の波はのちに力を溜め込んで、

巨大津波となって襲いかかってきます。

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だから、意味なんて見つけなくていい。

現実を受け入れるために理由を探さなくていい。

「傷ついた」

「悲しかった」

「寂しかった」

「腹が立った」

その感情が湧き上がってきたことこそが現実。

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