札幌からこんにちは。ふるせいくえです。
今月のあたまから日本へ一時帰国しています。
本当は9月のビザが切れるタイミングで戻る予定だったのですが、
私が寂しくなっちゃったのと、
娘の運動会を見に行きたい!お弁当作ってあげたい!
という思いで家族のいる札幌へ。
ソシアルビザを3ヶ月で捨て、
既に予約している9月のフライトまでは観光ビザで戻ります。
6月の札幌は、、、寒いと暑いが混在!!!
寒い時は10度前後でですね、
バリの暑さと湿気に慣れた体には冬!冬にしか感じられない!
と思ったら、昨日はとっても暖かくていい感じ。
長袖では暑いくらいです。
でも、湿度がないので肌の乾燥がヤバイです。
前回の帰国で思い知ったので、
新千歳空港に着いてすぐHABAで化粧水をゲットしたんですけど、
それでもカッサカサです。カッサカサ!!!
乾燥こわい!!!
小学校4年生の娘は、
いい感じで思春期に突入し、
いい感じで「我」にベクトルが向き始めていてですね、
いい成長しているなーと安心しました。
家族間から学ぶことよりも、
社会の中(学校やその他)での関係から学ぶことが増えてくる時期。
色んな色の繋がりの糸を手にしているのが見えて、
母としてはホッとしています。
バリに飛んでから1年が過ぎ、
その間日本とバリで、
夫婦バラバラ、母娘バラバラの生活を過ごしてきました。
外から見たら「ちょっと大丈夫!?」な家族の形ですが、
結論から言いますと「離れてよかった」というのが私の一番の気持ちです。
子どもを産んでから、
大体の人は心の膿を出す時期っていうのがあると思うんですけど、
私の場合はその膿の量が半端なかったわけで。
少しづつ出してはいたものの、
膿の影響で歪んでしまった関係性や家族の形というものは、
修正するのにかなりの時間を要していました。
それが、この離れ離れで暮らすという期間に、
驚くほどに修正されたというか、
矯正されたというか、
まぁ、あるべきところに戻ったと思うのです。
娘の姿を見ていてそれをヒシヒシと感じるのですね。
娘が日本に帰国するときに、
私は「母親」という肩書きにどれほど寄り掛かり、
どれほど依存し、助けられてきたのかを思い知らされました。
グッと掴んで握りしめた手を自分の意思で緩めるということ。
とても勇気がいりましたが、
心ではそれが何よりも大事だとわかっていたようです。
一気に全てが良くなることなんてない。
問題が一発で解決することなんてない。
人がみんな一緒に変化することなんてない。
一人一人歩むスピードも違うし、
変化をするスピードだって違う。
気づきが起きるタイミングや、
変わるタイミングも。
だから、
サポートはできても、コントロールはできないのです。
信じることはできても、強要はできないのです。
ただ、人間として最大限に力を発揮できる場所へと、
意識や心の所在があるならば、何も心配することなどない。
「親という存在に心や思考を支配された状態」だった娘が、
心の中心に自分を持ってこれるようになっただけで、
この先に起こることは、どうにでもなると信じているのです。
「この子は大丈夫」
という言葉の真意が、
「この子はまっすぐな心に育っているから、
みんなと仲良く関わりあって幸せに囲まれて生きていける」
だと危険なわけです。
それこそがコントロールなわけです。
いや、そもそも「この子は大丈夫」と思う時点でコントロールしている。
私はそう思います。
私の本音を言えば、
「この子がこの先、大丈夫かどうかなんてわからない」
だって、最高にグレちゃう可能性だってあるわけだし、
幼いうちから男に依存してしまう可能性だってゼロじゃない!
どんな道を進んでいくのかなんて、
はっきり言って親になんてわかるはずないですよ。
でも、どんなことが起きても事実を受け入れて向き合う、
そんな覚悟を持てたから「(私は)大丈夫」なんです。
こんな子に育ってしまって、子育て失敗した!って落ち込んでもいいし、
私は最低な母親だったわ!と絶望してもいい。
人生いいことだけを選んでなんて生きていけないんです。
いいことばかりの人生なんて、クソつまんないし、
そんなものを選んで人間は生まれてくるはずもない。
だけど、どんなことがあっても、
その山を乗り越えていくための力、
学ぶ力や、起きあがる力、人に助けてもらう力、
そういうものが備わっていると信じている。
ただそれだけで。
そういうところへと、
本当の意味での自立、子離れへと進ませてくれたのが、
離れ離れに暮らしていたこの期間だったな。
振り返ってみてそう思います。
***
日本滞在も残り1ヶ月。
その間に楽しい時間をいっぱい過ごす予定です。
今日はこれからニセコドライブ。
アスパラ狩りへ行ってきます!
皆さまも素敵な週末を。