今ここで出来ない人は、環境を変えたからって出来るはずがない

私のたいわの師匠でもある南山みどり先生。

約1年間に及ぶたいわ士育成講座を終了してすぐに、

個人セッションをお願いした時のこと。

「言葉が喋れる日本でも出来ない人が、

言葉も喋れない海外で出来るはずがないのよ」

お金に縛られた生き方をしたくない。

ニーズに合わせて自分の価値を下げて提供したくない。

本当に自分のしたいことをして生きていきたい。

バリ移住の理由を掘り下げていた時に、

みどりさんから伝えられた言葉。

今この環境で出来ないから、

生きる場所を変えればできるような気がする。

環境さえ変わればきっとうまくいく。

私の望む生活を実現できる。

そんな望みが、

現実を受け入れないための逃げ道に使っていたんだ。

じゃあどうする?

この目の前の現実さえ変わればそれでいいなら、

きっとバリ移住はしなかった。

でも私にはバリに行く揺るがない信念があった。

だから、

バリに行って自分の思い描く未来を実現するために今から変わろう。

そう決意しました。

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「私が幸せになることが一番」

そんなフレーズが一般化して、

やりたいを形にしたり、ママ起業も当たり前になった今。

自分が好きで突き進んでいればいい。

好きを極めたら仕事になる。

けれど現実は、

「好きなことを仕事にする」

「得意なことを表現して役に立つ」

そんな

「何者かになること」「表現すること」=幸せになる

という方程式が出来上がっている。

一番大切なことは

「何かを成し遂げたから幸せになれる」んじゃなくて、

「未完成だと感じてる自分は既に全てを持っている」

ということに気がついて、

心から幸せを感じることなんじゃないか。

「いつまで腐った肉を食べ続けますか?」

たいわ士育成講座でみどり先生が言った言葉。

腐りかけのお肉は美味しい。

でもお腹を痛めることもある。

そうと知ってるのに、腐った肉を食べてみることを止められない。

人は皆、必ず心に傷を負っている。

それはきっと唯一「心」を持った動物である人間の、

人間として生きるために必要不可欠な要素なのだと思う。

私たちは過去の出来事にひどく傷ついたと同時に、

その傷に助けられてもいるんだ。

見た目は腐った肉だけど、

口に運ぶと驚くほど美味しい。

それが心の傷だ。

「さっさと「寂しい」なんて捨てなさい!」

寂しい私にたくさん助けられてきた。

寂しい私のおかげで傷つかなくて済んだ。

寂しい私がいるから安心できた。

矛盾してるけれど、これが現実だ。

でももちろん、

寂しい私のせいで傷つくこともあったし、

寂しい私がいるから不安にもなり、

寂しい私であることで不自由なこともあった。

腐った肉でお腹を壊すこともあったけど、

腐った肉の美味しさを容易には手放せなかったっていうことだ。

「あなたの描く未来には「寂しい」は存在するの?」

そう質問されて、考えたら寂しいなど微塵も存在しない。

過去にはあった。もちろん。

でもこれから創り上げようとしている未来には、

寂しいの要素など1ミリも必要ない。


幸せに生きていきたいと思った時に、

今のままでは何かが足りてないと感じているならば。

「じゃあ一体何が足りないのか?」

その質問に私は言葉を失った。

そう、足りないものなどないからだ。

私がずっと思い込んできた、

「私は未熟だ」「私は足りてない」

そんな感覚はまったくの幻想で偶像だったんだ。

そこには、

何者かになることも、

何かを表現することも、

誰かに必要とされることも、

お金や言葉で評価されることも、

何一つ必要がなかった。

「今ここで出来ない人が、環境が変わったからってできるはずないのよ」

みどり先生の言葉の本意が、

セッションから2年が経ち、

バリに来て1年でようやく理解できた。

私には全てある。

私の未来にもう寂しいはいらない。

2年前のあのチャレンジから、今日へと続く道のり。

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