怒りが抑えられない!ヒステリックに子どもに怒ってしまう、、、感情はコントロールしてはいけない理由。

自分でもわからないけれど、

急に何かのスイッチが入ったように怒りが爆発する。

これ以上言っちゃいけない!

頭の隅ではわかっているのに、

体が言うことを聞かない。

口から出てくる言葉を止められない。

体の中にある怒りの何かを、

自分の体からすべて出し切ったとき、

ようやく自分の体が元に戻る。

そうして、

どうしてここまで言っちゃったんだろう。

どうしてこんなことでこんなに怒っちゃったんだろう。

自責の念に駆られて、深い深いどん底に落ち込んでいく。

きっと子育てをしている人で、

こんな経験をした人、少なくないと思います。

上に書いたのは数年前までの私の姿。

まだまだ小さな娘を相手に、

大声で怒鳴りつけ、物を投げ、時に手を挙げてしまう。

精神的に追い詰め、怖がらせ、恐怖で押さえつける。

やめたいのに止められない。

一体どうしたらこのループから抜けられるの!?

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まるで何かがのりうつったようにコントロールが効かない。

なすがまま、嵐が過ぎ去るまで感情の波に振り回されるだけ。

自分の意思とは反して、

大切な我が子をメタメタに傷つける。

それは本当に苦しく辛いものです。

一人でたくさんのタスクを抱えているから、

24時間の育児で休む暇もないから、

頑張りすぎているから。

それも原因の一つかもしれません。

もっと余裕があれば、

頼れる人がいれば、

息抜きできる時間があれば、

こんなにも頻繁に怒りが爆発してしまうこともないでしょう。

気分転換も大切だし、

怒りを逃がすテクニックも、

占いなどで子どもの性質を知るのも、

決して悪いことではありません。

けれど

「怒りの暴走をコントロールする方法」は、

「臭いものに蓋をする」に過ぎません。

汚れてしまったゴミ箱を、

涼しい場所に移せば臭いは立ちづらいし、

重曹スプレーを振り掛ければ臭いは消えます。

けれどゴミ箱の内側の、

生ゴミからこぼれた汁や、

それにまとわりついたホコリは、

変わらずそこにあるのです。

季節が変わり気温が上がれば悪臭が立ち、

重曹スプレーだって時間が経てば再び臭いが出てくる。

そんな時に私たちがやらなきゃいけないのは、

ゴミ箱からゴミ袋を出し、

内側にこびりついたべたべたの汚れを確認し、

洗剤をつけてこすり、水で流し、日に当てて乾かす。

「怒りが暴走し始めたその理由」に直接アプローチすることが、

「臭いの元を断つ」ということ。

答えはシンプル。

その怒りの暴走は、

怒りをコントロールしてきた先にあるのです。

なぜ怒りをコントロールしてきたのか?

人の目に囚われ、こう見られたいという姿になろうと生きてきたから。

臭いの元を断つには、

それを終わりにすることから始まります。

そのままの自分を、

ゴミ箱の内側にこびりついた汚れを見るように、

「ここまでは綺麗だから見れる」

「ここは汚いから見たくない」

とやっている自分を認めるところから。

「子どもをヒステリックに怒ってしまうくらい頑張ってる自分」も

「それを晒して共感してもらうことで自分の価値を確認しようとする自分」も。

「占い的に見て子どもと私の相性が良くないと知り心が軽くなった自分」も、

「それを言い訳にしてすべてを正当化してる自分」も。

「協力的ではない夫の文句を言う自分」も

「そうすることで夫婦間の根本的な問題から目をそらす自分」も。

目を逸らしたい、その存在を認めたくない自分の姿。

それも間違いなく自分自身。

怒りの暴走はコントロールするものではなく、

怒りをコントロールしてきたから暴走する。

自分の中から出てくる感情は、私の一部であり私自身。

感情に良し悪しを決めたり、

出てくる方向をコントロールするのは、

自分という存在をコントロールすること。

ゴミ箱の底の生ゴミの汁とこびりついたホコリ。

いつまで見ないふりをし続けますか?

いつまで他の匂いで誤魔化しますか?

汚れを直視するのはいい気分ではありません。

できれば見たくないし、掃除だってしたくない。

いつの間にか綺麗になっていたらいいのに!

そう思う気持ちもわかります。

抑圧した感情が溜まりに溜まって増幅してる事実、

人に媚びてる自分、

メッタメタに傷ついた過去、

自分をないがしろにして他人に合わせてる姿、

存在自体認めたくないそれらが、

一気に無くなって綺麗な心の私になったらいいのに!

そう思う気持ちもよーーーーーくわかります。

でもね、

一つ一つの事実に、いいとか悪いとか決めてるのは自分。

もともとそんなもの存在しない。

何でもかんでもプラスに捉える必要もないし、

マイナスは絶対ダメ!っていうものでもない。

ただそこにある。

目の前にある事実、というだけ。

自分の目から見た「こう在りたい」という自我を壊して、

「すでにここに在る私」という姿を受け入れる。

日々の小さな感情の揺れを、

もっともっと自由にしてあげる。

「自分の中から湧き出る感情」を、

ただそのままに感じ、表現する自由を与えてあげる。

他人からどんな風に見られるかを気にして、

自分から湧き出る反応としての感情を、

抑えたり、形を変えたり、捻じ曲げたりしなくていい。

ねじれてた自分がまっすぐ戻ったら、

自分から出てくる感情もまた、

素直になり、純粋に変わってくから。

どんな感情も、ただそこにある、だけ。

感情は私そのもの。

それを

自分を押さえつけるのを終わりにすれば、

怒りが暴走するのも終わりになる。

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