facebookで過去に投稿した記事が上がってきました。
なかなかシンプルにいいこと言ってるなぁ、なんて。
今日はその投稿をシェアします。
テーマは「手放し」について。
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手放すっていうワードが、
とっても羨ましく、
多くの人が求めるものであるように見える。
手放したい!と思ううちは、
まだまだその時ではなくて。
勝手に手放されるものだと私は実感としてある。
だからその時が来るまで、
トコトンこだわり尽くせば良いし、
思いっきりやり尽くしたら良いし、
ドーンと浸って感じ切れば良い。
あんなにこだわっていて、
最高!美味しい!大好き!
と思っていたヴィーガンおやつ、
実はもう全く執着してません。
2歳の息子には、既に生クリームのケーキも食べさせてるし、
無添加のポテチも与えてます。
もちろん、全く罪悪感なし。
作りたいという気持ちすら湧いて来ない。
罪悪感が残るうちは、まだまだ残ってます。
だからお腹いっぱいになるまでやり尽くそう。
良いとか悪いとか無いの。
それぞれ、必要な事なのだ。
だから安心してこだわって。
安心してそこに浸りきって。
お金がなくて不安なら、とことん不安になればいい。
こどもに向き合えないのが嫌なら、出来ない自分にとことん絶望すればいい。
アイツが嫌いなら、思いっきり嫌えばいい。
そこに罪悪感をのせるからこじれるんだ。
感情に良いも悪いも無いのだから。
感じるのは自由。
それくらいの自由を許可せずに、
他にどんな自由があるんだよ、っていう話。
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手放すっていうと、
持っているものをポイっと放り投げて目の前から消す、
みたいなイメージがあります。
もういらないから捨てる。
持っていたくないから捨てる。
必要ないから捨てる。
でもね、
今あなたが手にしているそれは、
あなたにとって必要だったからあるんだよ。
そしてそれによってあなたはたくさん助けられてきたはず。
望む、望まないに関わらず。。。
しっかりとそのお役目を終えた時、
何をしなくとも勝手に消えてなくなるから。
うす目開けてなんとなくその姿を確認してるだけで、
視界の横にぼんやり映り込む程度でしか存在を認めないで、
「こんなの持ってる自分ありえない!手放したい!」
「私はこんな人になりたい!だからこれはいらない!」
ってやってるうちは終わらない。
認めたくない自分の姿、
自分の中にある醜い姿を直視したくないから。
そんな私が存在することすら信じたくないから。
今すぐ消えてなくなれば全てがなかったことになるから。
そんな思いの手放しは、いつまでも終わることはありません。
とことん感じて、
とことんやり尽くして、
とことんこだわって、
とことん絶望して、
その先に本当の意味での手放しが待っている。
そしてやり尽くした後の世界は、
もうどこにだって行けるんだ。
もう何にだってなれるんだ。
そうなったらこっちのもの。