私には3つ上の姉がいる。
私は姉のことが心から大嫌いだった。
もう二度と関わるもんかと思っていた。
我が子以外、たった一人の血の繋がった家族でありながら、
バリ行きでさえも報告せずに日本を発ったほど。
しかしそんな姉でさえ、
それでもいいと受け入れられるようになったのだ。
私が私の心と丁寧に向き合あった、
あれこれをここに記そうと思う。
2014年の春、
私の母の33回忌と、父の27回忌があった。
九州に暮らす姉もやってくるという。
本当は6年前の母27回忌、父23回忌で終わりにしようと思っていたが、
姉が来るのならば行おうか、という話になった。
姉も私も仕事をしながら遠距離で準備を進め、
さあ1ヶ月を切ろうかという時、
ある私のひとことがきっかけで姉を怒らせてしまった。
それはそれはひどい怒りようで、
何を言っても私の弁解の余地などないほどに酷いものだった。
後にわかったのは、
彼女がその時婦人科系の病気を患い手術をしたすぐ後だったということ。
私はあまり詳しくないのだが、どうやら婦人科系の術後は、
ホルモンバランスが崩れて精神が不安定になるのだという。
とはいえ私の人格を根本から否定するモノ言い、
夫や子どもまでも非難したために私はそこで全てをシャットアウトした。
いくら家族とはいえ私の大切な人たちを否定する奴は許さない。
もちろん夫もかなりダメージを受けていた。
実は過去にも姉との間では色々あって、
それでも夫は大人な対応をしてくれていた。
けれど今回ばかりは仏の夫もさじを投げた。
以前の私なら、
怒りを爆発させて、もうあんな女知らんわ!と、
シャッターを下ろすだけで終わっていた。
どれだけ酷い奴なのかを言いまわり、共感を得て、
私の味方になる人をたくさん作って自分自身を慰めるのだ。
でもそれはしなかった。
怒りが収まるまで身を委ね、
そうしてその下にある悲しみが現れるまで待ったんだ。
姉から言われた言葉で私は何が悲しかったのか。
何が許せなくて、何が傷ついて、何を守りたいのか。
とにかくオイオイ泣きながら感情のままに声に出した。
その姿を家族はどうしようもできないまま見守ってくれていた。
数日経った頃だろうか。
私の真ん中にある分かってほしい想いを満足するまで吐き出したら、
感情の揺れがピタリと治まった。
心の傷はまだ塞がっていない。
悲しい気持ちもまだ残っている。
でも何かに向かって訴えたいというエネルギーは治まった。
そう、感じきったんだ。
満足いくまで出し切った。
「私は、今、ここにいる」ということを、
「私は、今、こう感じている」ということを、
世界に向かって叫びきったんだ。
現実は変わっていない。
姉だって何も変わりやしない。
でも私の中で終わったんだ。
もちろんまだ傷は塞がっていないけれど。。。
そんな状態で父母の法要を迎えた。
姉の不在の訳を親戚一同に伝えなくてはいけない。
かいつまんで話したが、皆一同口を揃えて「全く。。。」と否定的だ。
親戚との間でも過去に色々あったので、
どちらかといえば「変わってないな」という様子で。
私はその時にはもう、彼女を責める気などなかった。
私の中で終わったんだ。
彼女とは距離を置くこと、私と私の大切な人を守るという決断をした。
ただそれだけだったから。
親戚一同との熱量の差を感じつつも、そんなことさえもどうでもよかった。
私の中では結論が出ているのだから。
今回の一時帰国で、そんな姉から連絡が来た。
憔悴しきった声で「バリにいるんだって?」と。
話を聞いていると、ゴタゴタがあって大変な状況だったと。
いろいろ変化があってその報告の電話だった。
エネルギー量は小さくなっているものの、
彼女の口から出てくる言葉を観ていれば、
中身は大きくは変わっていないのはよくわかった。
けれど私は姉に対して今何をしてあげられるだろうかと考えていた。
私の中に彼女に対する憎しみなどないのがわかった。
今彼女の目の前にある逆境が、
彼女がよりよく生きて行くための大きなきっかけになると信じた。
表面上の手助けではなく、彼女がこの山を乗り越えていくために何をするべきか、
そんなことを考えながら話をしていた。
「とにかく沢山の人にお世話になって生かしてもらいなよ」
「いっぱい甘えて、いっぱい助けてもらって、頑張ったらダメだよ」
再び日本を離れてしまう私には何もしてあげられることなどはない。
でもこの言葉だけは彼女に伝えなくてはいけないと直感でわかった。
今の彼女には理解ができなかったようだけれど、
きっといつか彼女のタイミングが整った時に、
この言葉の意味、理由、大切さを理解できると信じている。
だって、やっと家族に対して「助けて」という一言を言えたんだから。
親戚一同は、そんな私の姉に対する対応にも不満をぶつけてきた。
過去にあんなことがあったのにもかかわらず、
どうして姉を擁護するようなことを言えるのか、と。
しまいには「あの時のことを見ないようにしてなかったことにしてる」とまで。
無かったことにしてるのはあなたたちだ、とは言わなかったが、笑
明らかに心が大きく反応している親戚一同を見ていると、
悲しい気持ち、傷ついた心をほっておいて、
怒りだけで全てをシャットアウトしているのは一目瞭然。
こればかりはやりきった人にしかわからない世界だから、
説明してもこじれるばかりで良いことなどないのでやめた。
ただ怒りという形でも、
湧き上がってきた溜まっていたものを話す(放す)ことができたので、
これもまたそれぞれにとって必要なタイミングだったのだな、と、
よかったなーと思う自分がいたのです。
(まぁ怒りをぶつけられたのは良い気分はしないけれども)
時間はかかるけれど、
一つ一つの感情を丁寧に感じて行くと、
どんなに辛いことも、どんなに腹立たしいことも、
必ず自分は乗り越えていけると実感できる。
それは「私は生きていける」という最高の自己信頼だと思う。
そしてその経験をすると、
「今目の前で苦しんでいるこの人も、必ず自分の力で乗り越えていく力がある」
と信じられるようになるんだ。
もちろんその時は出口のない真っ暗なトンネルを歩いているように感じていても、だ。
その積み重ねの先に、
「自分も人もコントロールしない」という、
「あるがままの姿を受け入れる」が存在する。