私たちは、今という瞬間の積み重ねを生きています。
一瞬でも前のことはすべて過去であり、
一瞬でも先のまだ起きていないことはすべてが未来。
けれど、心というのはそんな単純なものではなくて。
いくつもの時系列が絡み合いながら存在します。
あるものは過去、あるものは現在、あるものは未来、
そして過去に行ったり未来に飛んだりを繰り返すものや、
バックグラウンドで一時停止しているものも。
それらが複雑に響き合いながら「今」を生きている。
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過去の心とは、後悔や反省、過去の栄光など。
それらは思い込みという言葉で表現することもできます。
後悔や反省から失敗しないためのノウハウを持ち、
過去の栄光から成功の秘訣を見出す。
過去にこんな失敗をした。
こんなことを言ったら仲間はずれにされた。
前はこれでうまくいった。
あの人はこんな言い方をしていてとても好感を持てた。
そんな過去の経が「今」に影響を及ぼすものが過去の心。
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現在の心とは、今この瞬間に反応する感情。
心地よい、嫌だ、嬉しい、悲しい、許せない、可笑しい、、、
思考が動き始める前の反射的に湧き上がる心。
誰かの一言にムッとする。
思いがけないプレゼントをもらって嬉しい。
電車で隣に座った人が嫌な感じ。
子どもの一言につい笑ってしまう。
そんな思考が入り込む前の瞬間に反応する感情。
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未来の心とは、不安、心配、希望、ワクワク。
この先を憂いたり、将来を夢見たり、
現実に起きてないことを想像して反応する心。
お金がなくなったらどうしよう。
受験に合格するか心配だ。
我が子が気が強く、大きくなって仲間はずれにされないか不安。
好きなことを仕事にできたら幸せ!
いつか家族でここに行こう。
まだ目の前に起きていないことを、
まるで既に起きているかのように感じて体感してしまう心。
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この3つは自分でもわかりやすい。
特に過去と未来はセットになる。
過去の経験から未来を憂うというのはよくあるから。
特に子育て中の母親は、
過去(自分の幼少期)の経験を子どもに重ね、
未来(子供の将来)を心配してしつける、
というパターンが多くないだろうか。
一見子供のために頑張っているいい母親のようだが、
こうして書いてみると一目瞭然、
今この瞬間の子供のことは全く見ていない。
目の前の子供の向こう側に、
過去の自分と未来の子供しか見ていないのだから。
もしそれに気がついたなら、
まず一番最初にして欲しいのは、
私と子供は別の人生を歩んでいる、ということを知ることだ。
同じ経験をしたとしても、そこに対する反応(感情)は同じとは限らない。
誰かに肩を叩かれた時、
ある人は「嫌がらせしてるのか?」と感じ、
またある人は「自分に対して好意を持って歩み寄ってくれた」と感じているかもしれない。
ある人は「いじめられた」と感じることも、
ある人には「いじめられてるなんて思ってなかった!」っていうこともありうる。
だから、いつかの私は傷ついた出来事も、
我が子が同じような状況に出くわした時に傷つくかどうかはわからないのだ。
そしてなにより、
「傷ついていけない」などという思い込み自体が必要ない。
喜びは良くて、悲しみはダメ、などという区別はどこにもなくて、
すべての感情、すべての経験を味わう権利がそれぞれにあるのだから。
それが人生そのものだから。
では何故子供に過去の自分を重ね合わせ、
自分と同じ思いをさせてはいけないと考えてしまうのか。
それこそが「バックグラウンドで一時停止している心」なんだ。
傷ついたあの日。
悲しかった。嫌だった。寂しかった。
助けてほしかったし、やめて!と叫びたかった。
でも、
悲しいと言ったら誰かを傷つけてしまう。
嫌だと言ったら怒らせてしまう。
寂しいと言ったら困らせてしまう。
助けてと言って受け入れてくれる人などいなかった。
やめて!と叫んでまで失うことはできなかった。
だから、私が今感じた心は無かったことにしよう。。。
そうして一時停止ボタンを押してバックグラウンドに隠すのだ。
そんな止まったままの心が、
目の前のあの日の自分と似たような姿の我が子を見た瞬間、
一時停止の向こう側へ進もうと反応起こす。
それが、
「自分ではどうすることも出来ない怒り」や
「冷静になるとオカシイとわかるけどその時は止められない暴言」の原因である。
こういうことは、生きていれば誰でもあるものだ。
インナーチャイルドを癒す、というのも随分前にブームになったが、
向き合って過去を今に持ち越さない、過去を過去にする、
というのは今を生きるために大切なこと。
けれど過去の傷がすべて綺麗さっぱり消えて無くなるなんてことは有り得ない。
傷つき、生きづらさを感じ、悩み、試行錯誤しながら生きることこそが人生だから。
すべてがハッピーで幸せでしかなくて、困難もすべて学び、ワクワクだけで生きて行く。
そんな人生は、きっと3日で飽きるだろう。
ある程度自分と向き合った先は、
どんな感情も、どんな心もそれでいいと、
自分の人生を丸ごと受け入れてしまう、というところではないか。