ドタバタ一時帰国の旅 こころ大揺れスッタモンダの巻2

バリ滞在3ヶ月で日本に一人帰ってきた娘。

その後仕事をするパパと、月2回の出張がありながらも、

何とかかんとか生活をしてきました。

その間、車を売却し、マンションも売却し、父娘で引越しをして、

はたから見てもなかなか普通にない毎日を過ごしていたわけです。

そんな中、親戚のおじさんおばさんには、

週末娘を預かってくれたり、引越しの時に荷物を預かってくれたり、

娘にお洋服のおさがりをくれたり、

何かと助けてもらって心から感謝していたのです。

なので。

心配だったんですよね。私たち家族のことが。

しかも今の状況は、私が幼い頃の父子家庭だった頃とかぶる。

その時にもたくさんたくさんお世話をしてくれたおじさんおばさん。

見ていてやるせない気持ちになったんだろうと思います。

ですが。

その時と今は、似ているようで違うわけです。

私は母がいなくて寂しかったけど、

娘が寂しい思いをしてるかは娘しか知らないのです。

私は自分の意思とは関係なく母がいなくなったけど、

娘は自らの意思で母と離れて父との生活を選んだのです。

私は自分の過去の経験から知っています。

「お母さんいなくてかわいそうだねぇ」と言われると、

自分ではそう思っていなくても、悲しそうに、かわいそうにしていないとダメなんだ、

と、演じるようになることを。

私はかわいそうな子だから、幸せになってはいけない。

私はかわいそうな子だから、楽しそうにしていてはいけない。

だって、こんな運命の私は、人より足りてなくて満足なんかしちゃいけないから。

かわいそうという思いは、心配の気持ちです。

でもそれが余計に相手を苦しめることに気づかないのです。

心配の気持ちを、その愛情を、相手に伝えるためには、

「何かあったらいつでも手を差し伸べて受け止める」

「過去も今も全てを無条件で受け入れる」

ということでしかない。

寂しいと思うあなたでもいい。

悲しむあなたでもいい。

選択を誤ってしまったあなたでも大丈夫。

苦しくなったらどんなあなたでも助けるよ。

今は動けなくても、いつかまた元気になるまで信じて待ってるから。

そうやって

ジャッジをせずにまるまんま味方になることが、

一番の愛情、一番の助けなんだと私は思っています。

けれどそれができずに、

「そんなことをしたあんたが悪い」

「もっとこうしなさい」

「どうしてそんなことをしたの」

「こうしなきゃよかったのに」

と心配してる仮面を被りながら、アドバイスという名のジャッジをする時。

それは大概その人の中にある未消化の傷がうずいていることが多い。

「あの時自分を犠牲にしてあの人を助けてあげたのに」

「あんなに力になってあげたのに、お礼の一言もなかった」

「あの時の恩をあいつは忘れてる」

のもう一つ向こう側。

「してあげようという気持ちと同時に存在した、

自分に対して無理をさせた、自分の思いを無視したことに対する悲しみ」

を、気づかないふりして押し殺し、無理をし続けた心の傷、です。

その時は自分を犠牲にしてまでもやるしかない状況だったかもしれないし、

それどころじゃないくらい大変だったのに力づくで頑張ったかもしれない。

けれどもっと大切なのは、

そんな状況の中でも、努力し続けた自分によくやったね。

辛かったけど、自分の思いを無視してまでやってごめん。

と自分に対して声をかけること。

だいたいはひとつ前の段階で自分を納得させ、

そして外部から労いの言葉をもらうことで自分を満足させて、

自分が自分への労いを忘れて通過してしまう。

湧き上がってくる怒りは、この自分から自分への労いがないことに対する憤り。

これは自分で自分の心と向き合って、

ひとつひとつ仲直りしていくことでしか消化していかないのです。

(たいわセッションではこのお手伝いをしていきます)

今回のスッタモンダ、

私が幼かった頃、自分の家庭がありながらもそこを犠牲にしていっぱい支えてくれた親戚一同の、

心の傷が一斉にうずいて爆発したのでした。

(実は私だけじゃなくて姉の方でも一悶着あり、それも起爆剤になったのもあるのですが。姉の分までぶつけられた私と夫。。。よく耐えた。)

そんなわけで、

「かわいそう」「寂しがっている」

というのは、その人の中にある親に対する悲しみだし、

寂しそうにしてる子(いつかの私)に対して何もできなかったという無力感であり、

「こんな幼な子置いて死ぬってどういうことだ!バッキャロー!」

という我が父母への怒りでもあるわけでございます。

話していてそれがありありとわかりましたので、

ようやく30年来の感情を声に出して話す(放す)ことができて良かったなぁ、

と思いながら、どういう答えを相手は望んでいるのだろうか?

そして私は今、親離れを試されているんだな、とヒシヒシと感じておりましたよ。

親の心配は、子供の自立を妨げるというのを、

身をもって実感した今回の一時帰国のスッタモンダであります。

なんだかんだでこれを乗り越えられたのも、

夫がいたからだし、夫との思いを重ね合わせることができたから。

次は我が家の思いについて。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする