受け入れるということ

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私は今まで、受け入れずに生きてきました。

受け入れるということの意味を、勘違いしていたのです。

世の中にあるものすべて、

人も、動物も、物も、場所も、行動も、自然も、何もかも、

必ず自分にとって、良いところと悪いところがある。

言葉を変えれば、

好きなところと嫌いなところ。

嬉しいことと嫌なこと。

可愛いところと不細工なところ。

惚れ惚れしちゃうところとウンザリしちゃうとこと。

安心するところと恐怖を感じるところ。

感謝するところと迷惑なところ。

私は、このプラスの部分だけを手に良いれたくて、

でもマイナスな部分は一ミリも寄せ付けたくなかった。

だから、できる限りマイナスリスクの少ないプラスを選んだり、

端からそれ自体を選択しないこともあった。

もちろん数年前に比べれば、そんなのも随分緩まって、

流れに身を任せられるようになってきていたけれど、

やはりここぞという時にはマイナスまで請け負う覚悟を持てないことも多かった。

それが何かの拍子に「あ、受け入れるってこういうことか」

と、ストン、と落ちてきた。

そのきっかけは、

私の中にある、プラスとマイナスをひっくり返すという実験。

私がずっとマイナスだと思って疑わなかったこと。

マイナスだから、自分にGOを出さずに抑圧してきたこと。

例えば、ただやりたいからという動機だけでの行動。

子どもをないがしろにして自分を優先させること。

逆にプラスだと思ってやり続けてきたこと。

それによって価値が上がると信じてやり続けてきたこと。

例えば、人の役に立つような仕事をすること。

目標を持って行動すること。

子どもにとって最高の母親であろうとすること。

それを、ひっくり返してみた。

そうしたら。

そうしたら、何も変わらなかった。

そう、何も変わらなかったのだ!!!

マイナスだと思って疑わなかったことをやってみたって、

私の目の前の現実は何も変わらない。

プラスだと信じて続けてきたことを止めてみたって、

私の目の前の現実は何も変わらない。

いやむしろ、何だかなるように流れ始めている気さえする。

つまり、そういうことだ。

行動の後にやってくる反応や結果。

そこにはプラスと感じるものも、マイナスと感じるものも、

どちらもセットでやってくる。

そういうものなんだ。

それは、どんな道、どんな行動、どんな言葉、どんな自分を選んだって変わらない。

だとしたら、マイナスと感じる反応に怯えていることすら馬鹿馬鹿しい。

そう、結局プラスマイナスどちらも、

(もうそれがプラスとかマイナスとかいう基準さえもわからない)

反応として、結果として起きるすべてをひっくるめて、

すべて請け負うという覚悟。

それが受け入れる、ということ。

だからこそ、

心から望む選択、心が訴える言葉、心が喜ぶ行動をしたい。

マイナスさえも受け入れてしまう強さは、

無力であると同時に、無敵なんだ。

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