我が子のために、私のために

9歳になった娘との距離感。

そんなことをここ最近いつも考えます。

既に思春期に片足入りかけていると今、

ある程度の距離と伝えていかなくてはいけない部分とで、

模索しながら過ごしています。

私は娘が幼い頃、過干渉で過保護に育ててきました。

そして今、その反動もあって大きく距離を置いてます。

私が子どもの時に親にされて嫌だったからやらない。

私が子どもの時に親にして欲しかったからやる。

これは全部私のため。

親にされて嫌だったことを、

今の私が嫌だと思い続けてるからこそ、

我が子にはやらないぞ、

と思うだけで。

親にされて嫌だったことを、

今の私がどうでもいい、と思っていたら、

我が子が同じ思いをしようとも、

どうでもいい、わけです。

どうでもいい、

という言葉は少々投げやりかも知れないけれど、

問題視してるから、我が子にも問題視する、

そんな単純なことだったりするのですね。

例えば、インナーチャイルドと呼ばれる幼い頃のトラウマが、

未消化だからこそ子どもには同じ思いをさせまいと誓う。

子どもに向き合うことで、

自分自身と向き合うことを避けているだけなのです。

今、どんどん変化していく私の中で、

そんなことに気がつき、

じゃあ本質のところで母親の役割とは何だろう、

そんなことを考えているのです。

母娘で過ごす時間も残り数日。

一緒の時間も、離ればなれの時間も、

全ては意味があると思うから。

ただただ流れに身を任せるだけ。

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