親になったら誰もが願う。
【いい子に育って欲しい】
さて、そのいい子って、どんな子でしょうか。
「愛される子になってほしい」
「幸せになってほしい」
「夢を叶えられる大人になってほしい」
愛するが故の色んな思いを抱くものです。
それが結果として、
「愛されるためには、迷惑をかけちゃいけない」
「幸せになるためには、人の役に立つことをしなきゃいけない」
「夢を叶えるためには、勉強が出来なきゃいけない」
そんな風に自動変換され、
【いい子に育てなくては】という思い込みに捕われている現実があります。
さて、もう一度。
いい子って、どんな子ですか?
そもそも、いい子になることが必要かどうかを考えなくてはいけません。
ご飯は家族みんなが揃うまでジッと待つこと。
スーパーでおやつをねだって駄々こねないこと。
お外を歩くときは手をつないで歩くこと。
人の多いところでは大声を出さないこと。
挨拶は大きな声で元気よくすること。
確かにこれが出来る子はいい子かもしれません。
しかしそれは【大人にとって都合のいい子】でもあるのです。
お腹が空いてすぐに食べ物に手が伸びるのは、
心の元でもある快・不快で生きている子どもにとって自然なこと。
駄々をこねるのは、自分の想いを表現する練習。
広い場所で走り出すのは、心臓を鍛える自然な行為。
大声を出して話すのは、自分の想いを相手に届ける工夫。
モジモジして挨拶できないのは、社会性が芽生えはじめた証拠。
そういう側面があるということを、
大人にとって面倒くさいことが、
子どもにとって大切な成長の過程だと、
関わる大人が知ったとき、
いい子じゃない子が、いい子に変わるのです。
つまり、
いい子になってほしいと願うとき、
大人の意識が変わるだけでいい。
子どもはいつもいい子なのです。