子どもと過ごしていると、
自分でもビックリするくらい、急に怒りのスイッチが入ることがあります。
まるでもう一人の誰かがいるような、
自分の力ではこの感情をどうすることも出来ない感覚。
怒りながら、
「ここまで言う必要ないじゃない」
「どうしてこんな事で怒ってるんだろう」
そんな風に客観的に眺めている自分がいる。
そうしてすべてを吐き出した後に、
泣きべそかいてる我が子を見て、
もしくは理不尽さに不満だらけの我が子を見て、
自分の不甲斐なさにガックリと肩を落とす。。。
余裕がない時に限ってこうなるのはわかってるの!
私、疲れてるのよ!
ブレーキ掛けたくても出し切るまで止められないの!!!
大人なのに。
母親なのに。
***
2歳頃になると始まる、通称「イヤイヤ期」。
自我が芽生え、自分の想いを主張し表現しようとする時期。
自分でやりたい!
でも出来ない!
うまくいかない!
理想と現実の違いにイライラする。
やりたいことと、できないこと。
ダメな事はわかってる、でもやりたい。
自分の想いを伝えたい、うまく伝わらない。
そんなギャップに苦しんで、自分なりに折り合いをつける訓練。
かんしゃく起こしながら、そのうち何に怒っていたのかさえ見失う。
でもその時は怒りたかったんだ。
折り合い付けるために必要なプロセスなんだ。
***
なんだかどっちも似ていると思うのは私だけでしょうか。
「どうして怒っちゃうのか?」
そんな問いかけは野暮なのかもしれません。
だってそれは、
「怒りたいから」
だから。
決して、我が子が困らせるような事をしたからじゃなく、
それはあくまでキッカケで、正直何でも良かったのかもしれません。
だって、私は「怒りたかった」んだもの。
こころの折り合いがつかなくて怒るのは子ども。
こころの折り合いがつかなくても我慢するのが大人。
でも、我慢すればいつかは爆発します。
プレートのひずみが巨大地震となって跳ね返るように。
大人だから?
母親だから?
その前に、あなたはあなた。
あなたには、
嫌なことを嫌だと言うことも、
やりたくないことをやらないことも、
休みたい時に休むことも、
誰かに助けて欲しい時に助けて欲しいとお願いすることも、
全て許されています。
この世の中でそれを許していないのは、
もしかしたらあなた自身なのかもしれません。
イヤイヤ期の子どもを見守るように、
懸命にこころの折り合いを付ける自分をやさしく見守れたなら。
あなたが我が子にしてあげたいと想うこと、
それは私がして欲しいことなのです。